最後のしっぽ
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/
環境CSRコンサルタントのブログ(専門は環境法政策)。イギリスの国際環境NGOからスタートした自然保護の仕事を通じて感じたこと、見てきたことを書きます。
Mari
2016-08-20T10:45:09+09:00
ja
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マクドナルドとアニマルウェルフェア
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-08-20
さて、前回まで少し硬いスタイルが続いたので、小休止。とはいえ、同じラインのトピックです。マクドナルド社が、昨年9月、アメリカとカナダの店舗で、10年以内にすべての卵をケージフリー(ケージに入れない鶏からの卵)にする、と発表しています。写真 Slate (以下リンク)よりこの「ケージフリー」や「フリーレンジ」の定義に問題がありそれほど改善は見込めないとする声もありますが、生まれてから一度も太陽を見ないのが主流のスタイルであるケージスタイルと比べれば(怖いことです)、少しでも前進。マクドナルドは実は、イギリスでも Freedom Food 認証の豚肉のみを導入。こちらは RSPCA が主導する、かなり高い基準のアニマルウェルフェアに沿った豚の飼育が義務付けられたもの。マクドナルドと言えば、肉の大量消費の最大の原因のひとつ。本来ならそれなりにコストのかかっていた肉というものを、気軽に、安く食べられるようにした、ファストフードチェーンの代表です。ファストフードの拡大に伴い、畜産の工業化が加速、今では工業畜産(工場のように機械を多用して大量の家畜を飼うスタイルで、個体密度が非常に高く、多くの場合は密閉された空間で飼育)が主流。つまり、肉の需要に追いつくためには、大量の家畜が必要で、のんびりと草や虫を食べさせている暇はない、ということでした。外部経済の内部化(注)ということが言われて久しいのですが、本来、肉というものはそんなに安く食べられるものではなかった、ということです。いや、一度も太陽の光を見たことのない鶏の肉でも、安い肉が食べられることはいいことだ、という人もいると思います。密室で過密な状態にあって病気になりやすいため、抗生物質漬けになっていても(そしてそれを食べて自分が病気になる可能性があるとしても)、それでも安い肉がいい、という人もいるでしょう。でも、市場経済の利点(環境にとって)というのは、多くの消費者が求めれば、それを企業が提供してくるということ。下の写真は、イギリスのスーパーにあったアニマルウェルフェア食肉 ↓家畜のアニマルウェルフェア、ここ4-5年で、加速しているな、というのが私の印象です。そしてこれは、企業の社会的責任(CSR)やエシカル消費の波と合致しした一連の大きな流れの一部ですが、そのこと自体、人類の(倫理やモラル上の)進化の流れに、アニマルウェルフェアは入っているということの証ではないかと思います..
未分類
Mari
2016-08-20T10:45:09+09:00
とはいえ、同じラインのトピックです。
マクドナルド社が、昨年9月、アメリカとカナダの店舗で、10年以内にすべての卵をケージフリー(ケージに入れない鶏からの卵)にする、と発表しています。
写真 Slate (以下リンク)より
この「ケージフリー」や「フリーレンジ」の定義に問題がありそれほど改善は見込めないとする声もありますが、生まれてから一度も太陽を見ないのが主流のスタイルであるケージスタイルと比べれば(怖いことです)、少しでも前進。
マクドナルドは実は、イギリスでも Freedom Food 認証の豚肉のみを導入。
こちらは RSPCA が主導する、かなり高い基準のアニマルウェルフェアに沿った豚の飼育が義務付けられたもの。
マクドナルドと言えば、肉の大量消費の最大の原因のひとつ。
本来ならそれなりにコストのかかっていた肉というものを、気軽に、安く食べられるようにした、ファストフードチェーンの代表です。
ファストフードの拡大に伴い、畜産の工業化が加速、今では工業畜産(工場のように機械を多用して大量の家畜を飼うスタイルで、個体密度が非常に高く、多くの場合は密閉された空間で飼育)が主流。
つまり、肉の需要に追いつくためには、大量の家畜が必要で、のんびりと草や虫を食べさせている暇はない、ということでした。
外部経済の内部化(注)ということが言われて久しいのですが、本来、肉というものはそんなに安く食べられるものではなかった、ということです。
いや、一度も太陽の光を見たことのない鶏の肉でも、安い肉が食べられることはいいことだ、という人もいると思います。
密室で過密な状態にあって病気になりやすいため、抗生物質漬けになっていても(そしてそれを食べて自分が病気になる可能性があるとしても)、それでも安い肉がいい、という人もいるでしょう。
でも、市場経済の利点(環境にとって)というのは、多くの消費者が求めれば、それを企業が提供してくるということ。
下の写真は、イギリスのスーパーにあったアニマルウェルフェア食肉 ↓
家畜のアニマルウェルフェア、ここ4-5年で、加速しているな、というのが私の印象です。
そしてこれは、企業の社会的責任(CSR)やエシカル消費の波と合致しした一連の大きな流れの一部ですが、そのこと自体、人類の(倫理やモラル上の)進化の流れに、アニマルウェルフェアは入っているということの証ではないかと思います。
http://www.slate.com/articles/health_and_science/science/2016/08/animal_activists_crunched_the_numbers_to_learn_that_the_creature_most_in.html
https://www.washingtonpost.com/news/animalia/wp/2016/08/06/how-eggs-became-a-victory-for-the-animal-welfare-movement-if-not-necessarily-for-hens/
http://www.forbes.com/sites/phillempert/2016/05/08/shift-to-cage-free-eggs-is-likely-to-disappoint/2/#765976786438
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生物保護(アニマルウェルフェア+)
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-08-06
さて、環境倫理の主な主張、3つめのカテゴリー。生物保護、という考え方です。ここにはいろいろな考え方が入りますが、さらに大きく分けると、「個体主義」と「全体主義」というのに分かれます。個体主義の中には、例えば以下のような考え方が入ります。① ピーター・シンガーの「動物の解放」にあるように、有感動物に人間に適用するのと同じ原則で倫理的配慮をすること② トム・リーガンの「動物の権利」にあるように、有感かつその他の条件を満たす動物には生きる権利があり人間にはそれを尊重する義務があるというもの(この場合の「権利」は道徳的な意味であって、法律上の権利とはまた別)③ アルバート・シュヴァイツァーが主張するように「生命」は一つ一つみな尊重すべき、というもの(進化の目的はそれぞれの種で別の戦略を持つ)全体主義(ホーリズム)には、以下のようなものがあります。④ アルド・レオポルドの「土地倫理」にあるように、人間は地球の征服者ではなく一構成員であり仲間の構成員を尊重すべきというものこれから少しそれぞれについて書いて行きたいと思いますが、現在、特に日本では「アニマルウェルフェア」と「アニマルライツ」の混同が根深いようです。この二つはまったく別のもの。そして、「動物が好き」な人だけがそれ(人間が動物を扱う時の考え方や方法)について考えればいいのだ、というような風潮もあります。そうではない、のがアニマルウェルフェアだと私は解釈しています。また、「じゃあお肉を食べてはいけないというのですか?」という心配も、よくされます。必ずしもそうではないのが、アニマルウェルフェアの考え方です。私が思うのは、人間と動物はまったく別、ということにしておいた方がいろいろなことがすっきりする(実際そうかはわかりませんが)、だからそのパンドラの箱を開けたくない、ということなのではないかと推測します。もちろん、自分の種を残そうとする、自分の属する種に有利になるように行動するのも、生物の性質です。ただ、進化論を受け入れているならば、人間だけがこの地球で特別扱いをされるのが自然の摂理ではない、ということは言えると思います。アニマルウェルフェアが提唱しているのは、そういうことであり、”かわいそう”論とは全く異なるものです。
未分類
Mari
2016-08-06T09:42:06+09:00
生物保護、という考え方です。
ここにはいろいろな考え方が入りますが、さらに大きく分けると、「個体主義」と「全体主義」というのに分かれます。
個体主義の中には、例えば以下のような考え方が入ります。
① ピーター・シンガーの「動物の解放」にあるように、有感動物に人間に適用するのと同じ原則で倫理的配慮をすること
② トム・リーガンの「動物の権利」にあるように、有感かつその他の条件を満たす動物には生きる権利があり人間にはそれを尊重する義務があるというもの(この場合の「権利」は道徳的な意味であって、法律上の権利とはまた別)
③ アルバート・シュヴァイツァーが主張するように「生命」は一つ一つみな尊重すべき、というもの(進化の目的はそれぞれの種で別の戦略を持つ)
全体主義(ホーリズム)には、以下のようなものがあります。
④ アルド・レオポルドの「土地倫理」にあるように、人間は地球の征服者ではなく一構成員であり仲間の構成員を尊重すべきというもの
これから少しそれぞれについて書いて行きたいと思いますが、現在、特に日本では「アニマルウェルフェア」と「アニマルライツ」の混同が根深いようです。
この二つはまったく別のもの。
そして、「動物が好き」な人だけがそれ(人間が動物を扱う時の考え方や方法)について考えればいいのだ、というような風潮もあります。
そうではない、のがアニマルウェルフェアだと私は解釈しています。
また、「じゃあお肉を食べてはいけないというのですか?」という心配も、よくされます。
必ずしもそうではないのが、アニマルウェルフェアの考え方です。
私が思うのは、人間と動物はまったく別、ということにしておいた方がいろいろなことがすっきりする(実際そうかはわかりませんが)、だからそのパンドラの箱を開けたくない、ということなのではないかと推測します。
もちろん、自分の種を残そうとする、自分の属する種に有利になるように行動するのも、生物の性質です。
ただ、進化論を受け入れているならば、人間だけがこの地球で特別扱いをされるのが自然の摂理ではない、ということは言えると思います。
アニマルウェルフェアが提唱しているのは、そういうことであり、”かわいそう”論とは全く異なるものです。
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「世代間倫理」
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-07-29
地球を倫理学で救えるか?前回からのトピックですが、環境倫理の3つの主張(実はものすごくいろいろな主張が存在していて、それぞれが矛盾をはらんでいたりしますが)の2番目。世代間倫理。つまり、世代を超えて倫理観を適用するもので、この考え方は「サステナビリティ」とか「持続可能性」という言葉がメインストリームとなっている通り、すでに受け入れられています(もちろん様々な矛盾や批判もありますが)。未来の世代につけをまわさない、というのがボトムラインのこの考え方、例えば石油資源を考えてみるとわかります。① 石油は有限な資源であり、枯渇しつつある。② しかし、再生可能な資源はまだ様々なハードルのため普及が進んでいない。③ よって、いつかはなくなると知りつつ、現在世代は石油を使っていて、つけの「先延ばし」をしている。④ これでは、将来世代が持つ欲求(必要)を満たすための能力が減少するため、そうならないよう現在世代は今すぐ石油の使用をやめ再生可能エネルギーに切り替えることが一番望ましい。というような考え方です。もちろん、④の「そうならないよう...」以降は、現実的にはいろいろなオプションが検討されていますが、理論的にはこういうことです。J.S.ミルは、枯渇性資源も事実上は無限であると考えたうえで、停止状態(例:石油を使うことを今すぐやめる)を実現しなくてはならないとしています。「成長の限界」のベースとなったハーマン・デイリーは、3つの原則を打ち出してシンプルに説明しています:① 「再生可能な資源」の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない。② 「再生不可能な資源」の持続可能な利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで利用することで代用できる速度を超えてはならない。③ 「汚染物質」の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を上回ってはならない。どの主張も、「なるほど」と納得はさせられるものですが、実際適用しようとすると様々な科学的根拠が出てきて、アメリカでの温暖化問題への懐疑主義とそれを支える”データ”の存在からもわかるように、残念ながら合意形成が非常に難しいのが実情です。ただし、こうした理論は基盤としてやはり大切。この世代間倫理の主張は、すでに国連をはじめとする様々な国際機関や政府機関が採用する、「持続可能な開発」という概念に組み込まれています。(ただし、この概念自体の解釈も..
未分類
Mari
2016-07-29T18:03:14+09:00
前回からのトピックですが、環境倫理の3つの主張(実はものすごくいろいろな主張が存在していて、それぞれが矛盾をはらんでいたりしますが)の2番目。
世代間倫理。
つまり、世代を超えて倫理観を適用するもので、この考え方は「サステナビリティ」とか「持続可能性」という言葉がメインストリームとなっている通り、すでに受け入れられています(もちろん様々な矛盾や批判もありますが)。
未来の世代につけをまわさない、というのがボトムラインのこの考え方、例えば石油資源を考えてみるとわかります。
① 石油は有限な資源であり、枯渇しつつある。
② しかし、再生可能な資源はまだ様々なハードルのため普及が進んでいない。
③ よって、いつかはなくなると知りつつ、現在世代は石油を使っていて、つけの「先延ばし」をしている。
④ これでは、将来世代が持つ欲求(必要)を満たすための能力が減少するため、そうならないよう現在世代は今すぐ石油の使用をやめ再生可能エネルギーに切り替えることが一番望ましい。
というような考え方です。
もちろん、④の「そうならないよう...」以降は、現実的にはいろいろなオプションが検討されていますが、理論的にはこういうことです。
J.S.ミルは、枯渇性資源も事実上は無限であると考えたうえで、停止状態(例:石油を使うことを今すぐやめる)を実現しなくてはならないとしています。
「成長の限界」のベースとなったハーマン・デイリーは、3つの原則を打ち出してシンプルに説明しています:
① 「再生可能な資源」の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない。
② 「再生不可能な資源」の持続可能な利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで利用することで代用できる速度を超えてはならない。
③ 「汚染物質」の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を上回ってはならない。
どの主張も、「なるほど」と納得はさせられるものですが、実際適用しようとすると様々な科学的根拠が出てきて、アメリカでの温暖化問題への懐疑主義とそれを支える”データ”の存在からもわかるように、残念ながら合意形成が非常に難しいのが実情です。
ただし、こうした理論は基盤としてやはり大切。
この世代間倫理の主張は、すでに国連をはじめとする様々な国際機関や政府機関が採用する、「持続可能な開発」という概念に組み込まれています。
(ただし、この概念自体の解釈も、将来世代に意思決定能力があるか、など様々な議論が存在しています。)
これは1987年国連のブルントラント委員会報告で打ち出された方針で、「将来世代が自分たち自身の欲求(必要)を満たすための能力を減少させないように、現在の世代の欲求を満たすようにする」というように定義されています。
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地球を倫理学で救えるか? 「地球有限主義」
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-07-23
掲題のクエスチョンですが、これは、環境倫理学の本にあったもの(もともとは「」環境問題を倫理学で解決できるか?」というもの)。自然保護の法政策を専門とする私から見ると、「おもしろい質問をするな」と思います。もちろん、倫理学を専門とする人から見ると非常に大切なクエスチョンとなるのでしょうが、そこをあえて置いて置き、いきなり結論を書いてしまうと...倫理学だけで環境問題を解決するのはもちろん無理ですし、従ってこの質問を私がされたとすると、NO と答えざるを得ません。ただ、環境倫理学の主張する①「地球の有限性」、②「世代間倫理」、③「生物保護」という概念はそれぞれ、法政策の形成の上でも重要な役割を果たしています。また、倫理的・道徳的・感情的な裏付けなしに環境問題に取り組むことには、限界もあると個人的には思います。①の環境の有限性、ですが「加害者と被害者」の構図から、地球の生態系では、すべての行為は他者への危害の可能性があるので、倫理的統制のもとにおかれている、という基本的な倫理の考え方に基づいているとされます。地球(の資源)を有限と考え、無尽蔵に資源を消費してきたこれまでのライフスタイルの反省とも言えますが、この考えでは、地球を一つの閉じられたものと捉え、個人や国家の個別的な利益よりも、地球全体の利益が優先します。今読むとびっくりな、ギャレット・ハーディンの救命ボート倫理も、地球を有限と見た場合に人類はどうすべきかということを考えたもの。少人数の(具体的には先進国の人たち)生き残りのためには他の人達(具体的には途上国の人たち)が犠牲となっても仕方がない、という、今の共和党大統領候補がサポートしそうなこの理論。これも、環境倫理学の文献を読むと必ず出てきます。そういう極論に行かず、なんとかこの地球を共有し人類が生存していく(後者については大切でないとする論もありますが)ために。苦肉の策とも言える理論が、②。続きは、また来週に。
未分類
Mari
2016-07-23T16:04:02+09:00
自然保護の法政策を専門とする私から見ると、「おもしろい質問をするな」と思います。
もちろん、倫理学を専門とする人から見ると非常に大切なクエスチョンとなるのでしょうが、そこをあえて置いて置き、いきなり結論を書いてしまうと...
倫理学だけで環境問題を解決するのはもちろん無理ですし、従ってこの質問を私がされたとすると、NO と答えざるを得ません。
ただ、環境倫理学の主張する①「地球の有限性」、②「世代間倫理」、③「生物保護」という概念はそれぞれ、法政策の形成の上でも重要な役割を果たしています。
また、倫理的・道徳的・感情的な裏付けなしに環境問題に取り組むことには、限界もあると個人的には思います。
①の環境の有限性、ですが「加害者と被害者」の構図から、地球の生態系では、すべての行為は他者への危害の可能性があるので、倫理的統制のもとにおかれている、という基本的な倫理の考え方に基づいているとされます。
地球(の資源)を有限と考え、無尽蔵に資源を消費してきたこれまでのライフスタイルの反省とも言えますが、この考えでは、地球を一つの閉じられたものと捉え、個人や国家の個別的な利益よりも、地球全体の利益が優先します。
今読むとびっくりな、ギャレット・ハーディンの救命ボート倫理も、地球を有限と見た場合に人類はどうすべきかということを考えたもの。
少人数の(具体的には先進国の人たち)生き残りのためには他の人達(具体的には途上国の人たち)が犠牲となっても仕方がない、という、今の共和党大統領候補がサポートしそうなこの理論。
これも、環境倫理学の文献を読むと必ず出てきます。
そういう極論に行かず、なんとかこの地球を共有し人類が生存していく(後者については大切でないとする論もありますが)ために。
苦肉の策とも言える理論が、②。
続きは、また来週に。
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人間中心主義と自然中心主義
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-07-16
前回の記事に書いた、人間中心主義と非人間中心主義(なかでも自然中心主義)の流れは、現在では「不毛な対立」であるともされています。例えば、アメリカの自然保護思想の源泉の一つとも言われるミューアは、ヨセミテ国立公園内に計画されたダム建設に反対していますが、彼の著作を読めばヨセミテの美しい自然を守りたいということが本音であったことがわかる、とされています。ただ、議論の上では意思決定の透明性の欠如など、プロセスを理由にしていたようです。つまり、公の議論の場では、人間中心主義に合わせてはいた、ということでしょう。例えば自然の生きものを原告とする訴訟が日本でも流行った時期がありましたが、そういう特別な例を別とすると、やはり、人間の作ったシステムの中では人間を中心とした話し方が一般的となるのは当然かもしれません。なぜ人間中心主義と自然中心主義との対立が不毛であるかについては、究極的には人間中心を否定し自然を中心に置く場合、人間も他の生物を利用して生きていくしかない以上、自然中心主義というのは人間に「生きるな」ということと同じである、という解釈があります(加藤、2005年)。これは、確かにそうです。例えば現在人類は地球1.5個分が必要な生活を送っているとされます(WWF)。単純に考えると、やはり人間が地球の生物に過剰な負荷を与えていることになり、地球を中心に考えるならば(人間がその中に含まれるのか否かという点がこれまた議論となりますが)、人間はいない方がよい、ということになってしまいます。ところが、生物学上は、自分の所属する種を優先させることは生物として自然な法則であり(全般に私も環境倫理学が専門ではないので用語が間違っているかもしれませんが)... これも、「自然界の法則」と呼べないこともなく...などなど、たくさんの批判や分析が存在する、大変複雑かつ難解なトピックです。ただ、一つだけ言えるのは、自然中心主義が人間中心主義への反発として生まれたこと、そしてそれが環境保護運動を後押ししてきたこと、これは間違いありません。また、個人的には、自然を美しいと感じる気持ち、これは多くの人にとって自然な感情であり、そのことを理由に自然を保護したいと思うこと自体が、批判されるというのはおかしなことでもあると思います。こういう流れを経て、自然の中に人間を含めたうえで保護論を展開する、というのが今の主流スタイル(表向きは)となっています。参考サ..
未分類
Mari
2016-07-16T09:58:11+09:00
例えば、アメリカの自然保護思想の源泉の一つとも言われるミューアは、ヨセミテ国立公園内に計画されたダム建設に反対していますが、彼の著作を読めばヨセミテの美しい自然を守りたいということが本音であったことがわかる、とされています。
ただ、議論の上では意思決定の透明性の欠如など、プロセスを理由にしていたようです。
つまり、公の議論の場では、人間中心主義に合わせてはいた、ということでしょう。
例えば自然の生きものを原告とする訴訟が日本でも流行った時期がありましたが、そういう特別な例を別とすると、やはり、人間の作ったシステムの中では人間を中心とした話し方が一般的となるのは当然かもしれません。
なぜ人間中心主義と自然中心主義との対立が不毛であるかについては、究極的には人間中心を否定し自然を中心に置く場合、人間も他の生物を利用して生きていくしかない以上、自然中心主義というのは人間に「生きるな」ということと同じである、という解釈があります(加藤、2005年)。
これは、確かにそうです。
例えば現在人類は地球1.5個分が必要な生活を送っているとされます(WWF)。
単純に考えると、やはり人間が地球の生物に過剰な負荷を与えていることになり、地球を中心に考えるならば(人間がその中に含まれるのか否かという点がこれまた議論となりますが)、人間はいない方がよい、ということになってしまいます。
ところが、生物学上は、自分の所属する種を優先させることは生物として自然な法則であり(全般に私も環境倫理学が専門ではないので用語が間違っているかもしれませんが)... これも、「自然界の法則」と呼べないこともなく...
などなど、たくさんの批判や分析が存在する、大変複雑かつ難解なトピックです。
ただ、一つだけ言えるのは、自然中心主義が人間中心主義への反発として生まれたこと、そしてそれが環境保護運動を後押ししてきたこと、これは間違いありません。
また、個人的には、自然を美しいと感じる気持ち、これは多くの人にとって自然な感情であり、そのことを理由に自然を保護したいと思うこと自体が、批判されるというのはおかしなことでもあると思います。
こういう流れを経て、自然の中に人間を含めたうえで保護論を展開する、というのが今の主流スタイル(表向きは)となっています。
参考サイト
http://www.wwf.or.jp/earth/
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なぜ自然を守るのか?
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-07-09
少し間が空いてしまいましたが、本日のトピック。前回の記事とも関連しますが、環境保護とは、なぜしなければならないのか、というのを、環境倫理の視点から見ると、大きく二つの考え方があります。相反する二つなのですが、一方では人間生存のため、つまり、人間が生きていくうえでは自然資源が必要であるから、という考え方。人間中心主義(anthropocentrism)と呼ばれます。もう一方の考え方は、この反対ですから、自然中心主義(ecocentrism)。人間にとっての価値には関係なく、自然には「内在的な価値」があるとする考え方。ただ、「価値」という概念そのものは人間の概念ですから、ここには少し複雑な哲学や倫理の議論が存在しています。自然中心主義の考え方は、かなり先進的で社会的には幅広く受け入れられないように見えますが、実は国際条約などでも認められている考え方。生物多様性条約の前文にも、ちゃんと盛り込まれています。「締約国は、 生物の多様性が有する内在的な価値並びに生物の多様性及びその構成要素が有する生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、教育上、文化上、レクリエーション上及び芸術上の価値を意識し、 生物の多様性が進化及び生物圏における生命保持の機構の維持のため重要であることを意識し、 ・・・・・・・・・」 (生物多様性条約 前文より 筆者下線)この、環境倫理について記事を続けてみます。よければおつきあいください。
未分類
Mari
2016-07-09T09:07:47+09:00
前回の記事とも関連しますが、環境保護とは、なぜしなければならないのか、というのを、環境倫理の視点から見ると、大きく二つの考え方があります。
相反する二つなのですが、一方では人間生存のため、つまり、人間が生きていくうえでは自然資源が必要であるから、という考え方。
人間中心主義(anthropocentrism)と呼ばれます。
もう一方の考え方は、この反対ですから、自然中心主義(ecocentrism)。
人間にとっての価値には関係なく、自然には「内在的な価値」があるとする考え方。
ただ、「価値」という概念そのものは人間の概念ですから、ここには少し複雑な哲学や倫理の議論が存在しています。
自然中心主義の考え方は、かなり先進的で社会的には幅広く受け入れられないように見えますが、実は国際条約などでも認められている考え方。
生物多様性条約の前文にも、ちゃんと盛り込まれています。
「締約国は、
生物の多様性が有する内在的な価値 並びに生物の多様性及びその構成要素が有する生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、教育上、文化上、レクリエーション上及び芸術上の価値を意識し、
生物の多様性が進化及び生物圏における生命保持の機構の維持のため重要であることを意識し、
・・・・・・・・・」 (生物多様性条約 前文より 筆者下線)
この、環境倫理について記事を続けてみます。
よければおつきあいください。
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グリーンな経済
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-06-11
今日は少しポジティブに、大きな視点から。このブログを仕切り直す前に書いていた記事ですが、少し編集しました。今の人間の住む地球を見渡してみると、本当にこの先もこんな風に人類は存続していけるのかな?という素朴な疑問がわく人は多いのではないかと思います。でも一方で、ちゃんとこの地球を「大切に」していけば、今は70億の地球の人口が、今世紀終わりまでに100億になったとしても、まだまだ人類は続いていけるんだ、という説も存在しています。今の世界の問題を整理する見方のひとつは「グリーン経済」(2) という新しい国連のイニシアティブに反映されていて...環境問題と、貧困・社会的不公平などの社会問題を両立するような経済の仕組みを作りましょう、という見方です。これは、ある特定の分野で環境や社会の問題を解決するという、経済活動に合わせた環境保全や社会問題の解決から、環境や社会問題の解決に合わせた経済のスタイルを構築すべし、ということです。具体的にはと言えば、例えば、代替エネルギーへの投資を促進し雇用も促進する、ということが挙げられています。また例えばEUでは、inclusive economy ということをしきりに提唱しており、社会的弱者やマイノリティー、途上国の人々もマーケットに含め互いにサポートする(と言えば聞こえはよいですが)ことを方針に掲げています。自然保護に根差した考え方としては、「生物多様性の主流化」などもあります。「主流化」とは、読んで字のごとく。生物多様性というコンセプトが、誰でも知っているものになり、ひいてはどんな場面でも考えられ、ありとあらゆる場面においての判断材料になることです。この生物多様性の主流化は、2010年に名古屋で行われた生物多様性条約の締約国会議(COP10)で採択された、これから生きものを守るために掲げた目標「愛知ターゲット」に含まれていた戦略目標のひとつ(3)。さて、そうするには、どうしたらよいのか?政策レベルでは、すでにそれぞれの国において生物多様性を行動計画などに組み込む、ということが始まっています。ビジネスレベルでは、例えばセクター毎のガイドラインや自己規範などの作成は、これ以前から徐々に進んできています。例えばビジネスレベルの取組で、日本で少し前に話題となったのは、ユニクロが非営利団体グリーンピースと結んだパートナーシップ。2020年までに、洋服の染料に含まれる有害化学物質を、グローバルチ..
未分類
Mari
2016-06-11T09:20:45+09:00
このブログを仕切り直す前に書いていた記事ですが、少し編集しました。
今の人間の住む地球を見渡してみると、本当にこの先もこんな風に人類は存続していけるのかな?という素朴な疑問がわく人は多いのではないかと思います。
でも一方で、ちゃんとこの地球を「大切に」していけば、今は70億の地球の人口が、今世紀終わりまでに100億になったとしても、まだまだ人類は続いていけるんだ、という説も存在しています。
今の世界の問題を整理する見方のひとつは「グリーン経済 」(2) という新しい国連のイニシアティブに反映されていて...
環境問題と、貧困・社会的不公平などの社会問題を両立するような経済の仕組みを作りましょう、という見方です。
これは、ある特定の分野で環境や社会の問題を解決するという、経済活動に合わせた環境保全や社会問題の解決から、環境や社会問題の解決に合わせた経済のスタイルを構築すべし、ということです。
具体的にはと言えば、例えば、代替エネルギーへの投資を促進し雇用も促進する、ということが挙げられています。
また例えばEUでは、inclusive economy ということをしきりに提唱しており、社会的弱者やマイノリティー、途上国の人々もマーケットに含め互いにサポートする(と言えば聞こえはよいですが)ことを方針に掲げています。
自然保護に根差した考え方としては、「生物多様性の主流化 」などもあります。
「主流化」とは、読んで字のごとく。
生物多様性というコンセプトが、誰でも知っているものになり、ひいてはどんな場面でも考えられ、ありとあらゆる場面においての判断材料になることです。
この生物多様性の主流化は、2010年に名古屋で行われた生物多様性条約の締約国会議(COP10)で採択された、これから生きものを守るために掲げた目標「愛知ターゲット」に含まれていた戦略目標のひとつ(3)。
さて、そうするには、どうしたらよいのか?
政策レベルでは、すでにそれぞれの国において生物多様性を行動計画などに組み込む、ということが始まっています。
ビジネスレベルでは、例えばセクター毎のガイドラインや自己規範などの作成は、これ以前から徐々に進んできています。
例えばビジネスレベルの取組で、日本で少し前に話題となったのは、ユニクロが非営利団体グリーンピースと結んだパートナーシップ。
2020年までに、洋服の染料に含まれる有害化学物質を、グローバルチェーン全体において廃止する、というコミットメントをたてました(4)。
海外の他のブランドも(Nike, Adidas Puma, H&M, M&S, C&A, Li-Ning, Zara, Mango, Esprit, Levi's, Uniqlo, Benetton, Victoria's Secret, G-Star Raw, Valentino, Coop, Canepa, Burberry, Primark)(5)。
実は、日本人の私たち含め、世界の洋服の大半を加工する中国では化学染料の有害物質によって川が汚染され、人体や生態系に大きな影響が出ています。
こうしたことを考えて洋服を購入する人は今ほとんどいませんが、このこと自体が問題でもあります。
ですから、一般の私たちの日常レベルでは...
例えば、オーガニック食品や、フェアトレードなどのエシカル製品は、「生物多様性の主流化」のいい例。
毎日自分が使うもので、環境問題・社会問題を少なくとも悪化させないようにする手段。
ただしここの課題は、環境コストを内在化していくと、必然的に物の値段が上がる傾向がある、ということ。
今の大量消費のスタイルから、本当に必要あるいは好きなものへと消費を抑えていくことも同時に考えていくこと。
この傾向はすでに始まっているような気がします。
1.The Guardian , "The triple crunch won't be pretty. But will it banish our economic torpor?” (31 May 2011), http://www.theguardian.com/commentisfree/2011/may/31/triple-crunch-economic-torpor
2. UNEP website: http://www.unep.org/greeneconomy/
3. Dec. X/2, Strategic Plan for Biodiversity 2011-2020, CBD, https://www.cbd.int/decision/cop/?id=12268
4. 日本経済新聞「ファストリ、危険化学物質の排出ゼロに グリーンピースと合意」(2013/1/9), http://www.nikkei.com/article/DGXNASGF0900A_Z00C13A1000000/
5. Greenpeace International website: http://www.greenpeace.org/international/en/campaigns/toxics/water/detox/
6. GEF, UNEP, CBD (2007) "Mainstreaming Biodiversity into Sectoral and
Cross-Sectoral Strategies, Plans and Programmes: Module B-3", https://www.cbd.int/doc/training/nbsap/b3-train-mainstream-en.pdf
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Some animals are more equal than others?
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-06-04
Some animals are more equal than others?いくつかの動物は、他の動物よりも平等である、という、ジョージオーウェルの言葉。これ自体はファシズムに対する表現であったのですが、人間とは、他の動物より価値があるのかどうか、ということが、今話題になっています。先週、オハイオ州のシンシナティ動物園で、ゴリラが射殺されたという事件が報道されました。写真:The Guardian 紙理由は、ゴリラのいる柵の中に、3歳の子どもが入り込んでしまい、ゴリラがその子を抱えてちょっと見には引きずっているような動作をしたためです。日本のメディアでも報道されていて、「動物園側は、麻酔薬は即効性はなく、子供の生命を守るためには、これ以外に方法はなかったと釈明している」とあります。これについて、類人猿の保護に長年携わってきた自然保護家は、射殺の前に試してみる価値のあった行為はいくつかある、としています。例えば、この Harambe と言う名の17歳のゴリラが信頼する人間に、彼を落ち着かせるように試みる、などのことです。ゴリラというのはとても知能の高い動物ですから、反応する可能性があるということです。この問題は、単に「ゴリラがかわいそう」という反応だけではなく、一部の世論はその子の保護者への責任や、動物園側の安全対策の責任について追求しています。ここでは、様々な点が考慮される必要があると思いますが、思いつく項目をあげてみますと...1. ゴリラは絶滅危惧種であり(Western & Eastern gorillas)、例え動物園にいるゴリラでも希少2.この Harambe は人工的環境で生まれ人の手で育てられており、人間がなだめるという可能性は十分にあった(?)3. そもそも人間の命が危険にさらされた可能性があるということで、動物を射殺してよいのか、という議論がある4.そもそも動物園にゴリラのような知能が高く社会性の高い動物を入れておくのは動物福祉にもとるという議論があるなどです。特に3.については、様々な意見があり、こうした見方をする側を批判する記事もあります。つまり、人間である以上、ヒューマニストであるべきであり、人間を優先させるのが当然である、という考え方。例えば、「I can't believe I have to say it: a human life is worth more than a go..
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Mari
2016-06-04T10:49:15+09:00
いくつかの動物は、他の動物よりも平等である、という、ジョージオーウェルの言葉。
これ自体はファシズムに対する表現であったのですが、人間とは、他の動物より価値があるのかどうか、ということが、今話題になっています。
先週、オハイオ州のシンシナティ動物園で、ゴリラが射殺されたという事件が報道されました。
写真:The Guardian 紙
理由は、ゴリラのいる柵の中に、3歳の子どもが入り込んでしまい、ゴリラがその子を抱えてちょっと見には引きずっているような動作をしたためです。
日本のメディアでも報道 されていて、「動物園側は、麻酔薬は即効性はなく、子供の生命を守るためには、これ以外に方法はなかったと釈明している」とあります。
これについて、類人猿の保護に長年携わってきた自然保護家は、射殺の前に試してみる価値のあった行為はいくつかある 、としています。
例えば、この Harambe と言う名の17歳のゴリラが信頼する人間に、彼を落ち着かせるように試みる、などのことです。
ゴリラというのはとても知能の高い動物ですから、反応する可能性があるということです。
この問題は、単に「ゴリラがかわいそう」という反応だけではなく、一部の世論はその子の保護者への責任や、動物園側の安全対策の責任について追求しています。
ここでは、様々な点が考慮される必要があると思いますが、思いつく項目をあげてみますと...
1. ゴリラは絶滅危惧種であり(Western & Eastern gorillas)、例え動物園にいるゴリラでも希少
2.この Harambe は人工的環境で生まれ人の手で育てられており、人間がなだめるという可能性は十分にあった(?)
3. そもそも人間の命が危険にさらされた可能性があるということで、動物を射殺してよいのか、という議論がある
4.そもそも動物園にゴリラのような知能が高く社会性の高い動物を入れておくのは動物福祉にもとるという議論がある
などです。
特に3.については、様々な意見があり、こうした見方をする側を批判する記事もあります。
つまり、人間である以上、ヒューマニストであるべきであり、人間を優先させるのが当然である、という考え方。
例えば、「I can't believe I have to say it: a human life is worth more than a gorilla's (これをわざわざ言わなくてはならないことが信じられないが、人間の命はゴリラのそれより価値がある」という記事では、あるアンケート調査について触れています。
人間の、外国人観光客と、自分の愛するペットと、どちらか一つの命しか救えないとしたら、どちらを救うか?
調査対象となった人の実に40%が、ペットの方を選んでいますが、これに反論する内容の記事です。
つまり上記の、人間はヒューマニストでなければならない、という考え方です。
非常に難しい倫理的な問題が、人間の商業利用する動物に関して存在しています。
私個人としては、そうした倫理的な問題への答えを出すのはとても難しいだろうと思うこともあり、いっそのこと、できるだけ商業利用を少なくすることで、人間側の悩みや罪悪感も減るのではないか、そんな気がします。
いずれにせよ、動物園という場所は、一般の人が思うほど、楽しい場所でもない、ということを知っているので、私自身はほとんど足を踏み入れたことがありません。
そこに行くと、こうした倫理的な問題をどうしても考えてしまうからです。
Harambe の安らかな眠りを祈り、この記事は終わりにしたいと思います。
http://www.theguardian.com/us-news/2016/may/30/gorilla-shot-cincinnati-zoo-child
http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/may/31/gorillas-shooting-harambe-cincinnati-zoo?CMP=share_btn_fb
http://wwf.panda.org/what_we_do/endangered_species/great_apes/gorillas/
http://www.gorillas-world.com/gorillas-in-captivity/
http://business.newsln.jp/news/201605300514260000.html
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抗菌・除菌グッズのこわい話
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-05-27
英語のことわざで、What doesn't kill you makes you stronger というのがあります。あなたを殺さないものは、あなたを強くする。これ、抗菌・除菌グッズに当てはまる言葉だと、と、Scientific American の記事にありました。つまり、死なないバクテリアは、どんどん強くなっていき、やがてスーパーバグになってしまう、ということなのです。よく宣伝で「99%の菌を除菌!」としています。その残りの1%のことです。前回書いたように、この状態が進むと抗生物質は効かなくなり(すでに抗生物質は効かなくなりつつあります)、これまでのようには手術というものはできなくなります。ちょっとした感染も、体が弱ければ菌に負けて死んでしまうことも。伝統的なクリーナーである石鹸は汚れや細菌を表面から浮かせ水で洗い流す。もう一つ伝統的なクリーナーであるアルコールは細胞の主要な構造を破壊し、蒸発する。ということで、どちらも環境中に消散する性質のものです。ところが、抗菌・除菌グッズというのは表面の残留物が、抵抗に強いバクテリアの発達しやすい状況を作ってしまうというのです。これらのグッズはキッチンカウンターで使用すると、そのままそこに残り菌を殺し続けますが、すべての菌ではありません。残った菌は、繁殖を重ねるごとに菌に対するディフェンスを身に着けた小さなサブ・個体群が生まれます。この一族が、冒頭の「あなたを殺さないものは...」ということわざに当てはまる、と記事には書いてあります。そして、こうしたグッズに抵抗力をつけた菌が変異を起こし、抗生物質そのものに対する耐性を持つようになった例が実験室では発見されているというのです。こうした抗菌化学物質は、やっぱり環境中に漏れてしまいます。たとえば抗菌グッズによく含まれていると言われる「トリクロサン」という物質とそれに類似の同じくグッズに含まれる「トリクロカルバン」という物質。アメリカの河川の60%に存在しているという研究結果があるそうです。またトリクロサンには、発がん性の危険もあるという記事もあります。化学物質は人間生活を大変便利にしました。が、副作用や環境への影響など、あまり気にせずに使っている抗菌・除菌グッズ。本当に便利なのでしょうか?何よりも、本当に安全なのでしょうか?今一度、見直すことを、お勧めします。アメリカには、Alliance for Prudent Use ..
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Mari
2016-05-28T12:00:00+09:00
あなたを殺さないものは、あなたを強くする。
これ、抗菌・除菌グッズに当てはまる言葉だと、と、Scientific American の記事 にありました。
つまり、死なないバクテリアは、どんどん強くなっていき、やがてスーパーバグになってしまう、ということなのです。
よく宣伝で「99%の菌を除菌!」としています。
その残りの1%のことです。
前回書いたように、この状態が進むと抗生物質は効かなくなり(すでに抗生物質は効かなくなりつつあります)、これまでのようには手術というものはできなくなります。
ちょっとした感染も、体が弱ければ菌に負けて死んでしまうことも。
伝統的なクリーナーである石鹸は汚れや細菌を表面から浮かせ水で洗い流す。
もう一つ伝統的なクリーナーであるアルコールは細胞の主要な構造を破壊し、蒸発する。
ということで、どちらも環境中に消散する性質のものです。
ところが、抗菌・除菌グッズというのは表面の残留物が、抵抗に強いバクテリアの発達しやすい状況を作ってしまうというのです。
これらのグッズはキッチンカウンターで使用すると、そのままそこに残り菌を殺し続けますが、すべての菌ではありません。
残った菌は、繁殖を重ねるごとに菌に対するディフェンスを身に着けた小さなサブ・個体群が生まれます。
この一族が、冒頭の「あなたを殺さないものは...」ということわざに当てはまる、と記事には書いてあります。
そして、こうしたグッズに抵抗力をつけた菌が変異を起こし、抗生物質そのものに対する耐性を持つようになった例が実験室では発見されているというのです。
こうした抗菌化学物質は、やっぱり環境中に漏れてしまいます。
たとえば抗菌グッズによく含まれていると言われる「トリクロサン」という物質とそれに類似の同じくグッズに含まれる「トリクロカルバン」という物質。
アメリカの河川の60%に存在しているという研究結果があるそうです。
またトリクロサンには、発がん性の危険もあるという記事 もあります。
化学物質は人間生活を大変便利にしました。
が、副作用や環境への影響など、あまり気にせずに使っている抗菌・除菌グッズ。
本当に便利なのでしょうか?
何よりも、本当に安全なのでしょうか?
今一度、見直すことを、お勧めします。
アメリカには、Alliance for Prudent Use of Antibiotics (抗生物質の思慮深い使用のアライアンス) というネットワークがあるようです。
日本はどうなのでしょう。
そういうことが議論されているのを、あまり見かけません。
http://www.scientificamerican.com/article/strange-but-true-antibacterial-products-may-do-more-harm-than-good/
http://emerald.tufts.edu/med/apua/policy/7.14.10.pdf
http://jp.ibtimes.com/articles/408545
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薬と生態系
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-05-21
今日は、自然界の生物と、人工的産物である薬の関係について。5月19日、イギリスでショックな報告書が出たばかりです。Jim O’Neil という、BRIKs (Brazil, Russia, India, China, South Africa) という用語を生んだエコノミストがとりまとめた、Tackling Drug-Resistant Infections Globally (薬への耐性を持つ感染への世界レベルでの対処) という報告書の中間とりまとめ。20世紀前半、ペニシリンが最初に開発されて以来、抗生物質は様々な人を救ってきました。「20世紀における偉大な発見」とも言われたほど、多くの命が救われ、それまでは致命的だった病気や怪我の治療が可能になったのです。しかし徐々に、様々な抗生物質が非常に気軽に処方されるようになり、日本でも病院へ行くと「とりあえず」処方される例もまだまだ多いはずです。ただ、自然の生態系の生物(菌)は、環境に合わせ進化していくもの。抗生物質という人工的な化学物質は、菌のある特定の箇所をめがけてピンポイントで働きます。結果、菌を殺しますが、その特定箇所だけを進化させればよいため、菌は抗生物質への耐性を構築しやすい、と考えればわかりやすいかと思います。ついに、抗生物質の「黄金時代」が終わってしまったのです。この中間報告書では、抗生物質への耐性を獲得した菌、「スーパーバグ」が原因で死亡する人の数が毎年1000万人に上る恐れがある、としています。つまり、今なら抗生物質を飲んでおけば治まるような一般的な細菌感染で死んでしまう人が出てくる可能性があるということです。この報告では、対策として9つの策が挙げられていますが、そのうち7つはどうやって抗生物質の過剰使用を減らせばよいかという点について。残りの2つが新たな抗生物質の研究と開発の推進について、となっています。抗生物質の研究開発は、利益が少ないために製薬業界は進んでやりたがらないからです。抗生物質の削減の方法として主なものはもちろん、必要以上に処方しないこと。そしてもう一つこのブログのトピックである動物に関係する大きな柱が、家畜に大量投与される薬の削減です。アメリカやイギリスでは、抗生物質を使用していない食肉、というラベルを見ることがあります。なぜ家畜に大量に抗生物質を投与する必要があるのか、という点を少し考えてみると...狭い劣悪な環境でぎゅうぎゅう..
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Mari
2016-05-21T12:00:00+09:00
5月19日、イギリスでショックな報告書が出たばかりです。
Jim O’Neil という、BRIKs (Brazil, Russia, India, China, South Africa) という用語を生んだエコノミストがとりまとめた、Tackling Drug-Resistant Infections Globally (薬への耐性を持つ感染への世界レベルでの対処) という報告書の中間とりまとめ。
20世紀前半、ペニシリンが最初に開発されて以来、抗生物質は様々な人を救ってきました。
「20世紀における偉大な発見」とも言われたほど、多くの命が救われ、それまでは致命的だった病気や怪我の治療が可能になったのです。
しかし徐々に、様々な抗生物質が非常に気軽に処方されるようになり、日本でも病院へ行くと「とりあえず」処方される例もまだまだ多いはずです。
ただ、自然の生態系の生物(菌)は、環境に合わせ進化していくもの。
抗生物質という人工的な化学物質は、菌のある特定の箇所をめがけてピンポイントで働きます。
結果、菌を殺しますが、その特定箇所だけを進化させればよいため、菌は抗生物質への耐性を構築しやすい、と考えればわかりやすいかと思います。
ついに、抗生物質の「黄金時代」が終わってしまったのです。
この中間報告書では、抗生物質への耐性を獲得した菌、「スーパーバグ」が原因で死亡する人の数が毎年1000万人に上る恐れがある、としています。
つまり、今なら抗生物質を飲んでおけば治まるような一般的な細菌感染で死んでしまう人が出てくる可能性があるということです。
この報告では、対策として9つの策が挙げられていますが、そのうち7つはどうやって抗生物質の過剰使用を減らせばよいかという点について。
残りの2つが新たな抗生物質の研究と開発の推進について、となっています。
抗生物質の研究開発は、利益が少ないために製薬業界は進んでやりたがらないからです。
抗生物質の削減の方法として主なものはもちろん、必要以上に処方しないこと。
そしてもう一つこのブログのトピックである動物に関係する大きな柱が、家畜に大量投与される薬の削減です。
アメリカやイギリスでは、抗生物質を使用していない食肉、というラベルを見ることがあります。
なぜ家畜に大量に抗生物質を投与する必要があるのか、という点を少し考えてみると...
狭い劣悪な環境でぎゅうぎゅうに押し込められている家畜たちは、すぐに病気になってしまうからです。
AFPニュース より
この原因はもちろん、食肉需要の増加、つまり、肉を食べる人口も、肉食自体も、増えていることが原因なのです。
自然界の生物(細菌)と、抗生物質。
おもしろいことに、自然界にある抗生物質と同じような働きをする食べ物や薬草は、抗生物質のように特定箇所だけに働きかけるのではなく、菌を全体として捉え(全体=ホリスティック)様々な箇所に働きかけるため、菌が耐性を構築しづらいというのです。
ペニシリン以前から、太古の昔から人間が存続していることを考えると、うまくこうしたものを使ってきた、そして自然と共存してきた、ということでしょう。
薬剤への過剰な信頼と手軽さが、この私たちの祖先が脈々と受け継いできたホリスティック医療の知恵を軽視させる文化を生んだ一因であることは間違いありません。
もちろんこの抗生物質の問題は世界各国がみな取り組まなければ意味がありません。
日本でももっともっと、抗生物質や抗菌製品について、政府主導の意識改革と規制、そして業界への支援と協働が必要です。
個人としては?
手軽なところでは、肉食の量について、もっと真剣に考える必要があります。
また、病院に行ってとりあえず出される抗生物質、本当に細菌性の病気でない場合に処方されていたら(されている場合がたくさんあります)、Noと言うこと。
抗菌スプレー、除菌グッズを今すぐにやめること。
合成された抗菌・除菌グッズは99%の菌を殺します。
でも、残りの1%は、耐性を構築しどんどん強くなっていきます。
キッチンでこうしたグッズを1か月使うと、結局は1か月かけてこの1%の強力な菌を培養しているのと同じことなのです 。
この点については、また来週。
報告書本文:http://amr-review.org/sites/default/files/160518_Final%20paper_with%20cover.pdf
その他参考:
http://amr-review.org/
http://www.afpbb.com/articles/-/3087606
http://amr-review.org/industry-declaration
http://www.scientificamerican.com/article/strange-but-true-antibacterial-products-may-do-more-harm-than-good/
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商業利用される動物の最後
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-05-14
人間と暮らす動物にはいろいろな種類があります(生物種とは別の、利用の種類)。その中に、家畜のように使役や食肉消費を目的としたカテゴリーとは別の、生きたままの商業的な利益を目的としたものもあります。例えば、展示でいうと、動物園、水族館、サーカスなど比較的大きなスケールから、個人でやっている移動動物園や動物ショー、カフェやレストランの店内や屋外で飼っている小動物など(たまに大きな動物もいますが)。昔の日本によくあった、イノシシ、タヌキ、シカ、そしてクマまでも(!)が、「お店の横の柵にいる」、いわゆる客寄せの動物たち。危険動物の飼育が規制されるようになり少なくなりましたが、現在では「めずらしい」動物などがあります。例えば、私の家からそう遠くないところに、ポニーが道路わきにいるお店があります。または、ふくろう、フラミンゴなど、本来は人間と暮らすのにあまり適さないと考えられる動物も、見たことがあります。その中には、その動物との本当の絆を築いて終生飼養を当たり前としている良心的なケースもあるでしょう。しかし多くの場合、「商業的な価値」が薄れ、コストばかりかかるようになった動物を、それでも飼育していくケースは、特に大きな規模のビジネスでは稀だと言われています。2013年、馬肉がマクドナルドのビーフバーガーや、大手スーパー Tesco の食肉売り場に混入したとして、ヨーロッパ(特にイギリス)では大きなスキャンダルとして報じられました。The Guardian紙よりもちろん、ビーフだと言っているのに馬肉であった、というのはサプライチェーン管理の視点からショッキングなことであり、これは刑事事件として取り上げられ、首相も最善を尽くして原因を究明する、という発言をしたほど大きな事件となりました。また、ヨーロッパ人がショックを受けるのは感情的な部分で、馬肉の大部分が、競走馬含め何らかの形で人間と暮らしていた馬から来ていて、多くの場合「商業的な価値」が薄れた結果の産物である可能性があるからです。World Horse Welfare のプレジデントであるイギリスのアン王女は、世話をきちんとされておらず放棄や餓死の可能性を持つ馬が国内に7,000頭いるという推定を受け、食肉として最後に売ることができるとわかれば、馬のオーナーがきちんと世話をするかもしれない、と発言しています。馬の福祉チャリティの代表を務める人ですから当然、いろいろなことを知っ..
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Mari
2016-05-14T11:09:18+09:00
その中に、家畜のように使役や食肉消費を目的としたカテゴリーとは別の、生きたままの商業的な利益を目的としたものもあります。
例えば、展示でいうと、動物園、水族館、サーカスなど比較的大きなスケールから、個人でやっている移動動物園や動物ショー、カフェやレストランの店内や屋外で飼っている小動物など(たまに大きな動物もいますが)。
昔の日本によくあった、イノシシ、タヌキ、シカ、そしてクマまでも(!)が、「お店の横の柵にいる」、いわゆる客寄せの動物たち。
危険動物の飼育が規制されるようになり少なくなりましたが、現在では「めずらしい」動物などがあります。
例えば、私の家からそう遠くないところに、ポニーが道路わきにいるお店があります。
または、ふくろう、フラミンゴなど、本来は人間と暮らすのにあまり適さないと考えられる動物も、見たことがあります。
その中には、その動物との本当の絆を築いて終生飼養を当たり前としている良心的なケースもあるでしょう。
しかし多くの場合、「商業的な価値」が薄れ、コストばかりかかるようになった動物を、それでも飼育していくケースは、特に大きな規模のビジネスでは稀だと言われています。
2013年、馬肉がマクドナルドのビーフバーガーや、大手スーパー Tesco の食肉売り場に混入したとして、ヨーロッパ(特にイギリス)では大きなスキャンダルとして報じられました。
The Guardian紙 より
もちろん、ビーフだと言っているのに馬肉であった、というのはサプライチェーン管理の視点からショッキングなことであり、これは刑事事件として取り上げられ、首相も最善を尽くして原因を究明する、という発言をしたほど大きな事件となりました。
また、ヨーロッパ人がショックを受けるのは感情的な部分で、馬肉の大部分が、競走馬含め何らかの形で人間と暮らしていた馬から来ていて、多くの場合「商業的な価値」が薄れた結果の産物である可能性があるからです。
World Horse Welfare のプレジデントであるイギリスのアン王女は、世話をきちんとされておらず放棄や餓死の可能性を持つ馬が国内に7,000頭いるという推定を受け、食肉として最後に売ることができるとわかれば、馬のオーナーがきちんと世話をするかもしれない、と発言しています。
馬の福祉チャリティの代表を務める人ですから当然、いろいろなことを知ってそのうえでの発言だと思われます。
つまり、動物が大きくなればその分、終生飼養はそのくらい難しい、ということなのです。
人間のために働いた動物たちの最後は、もっと広く知られるべきだと思います。
犬猫と同じですが、レスキューする個人の善意に頼るのは限界があります。
大元を考えてみんなで仕組みを変えること、これが動物に関して私が提案していきたいことです。
それには、知りたくなくても知らなくてはならないことが、たくさんあります。
もちろん、自分も含めて。
参考サイト
http://www.theguardian.com/uk/2013/feb/21/horsemeat-scandal-welsh-firm-recalls-burgers
http://www.mcdonalds.co.uk/ukhome/Aboutus/Newsroom/news_pages/mcdonalds_confirms_that_all_tests_for_horse_meat_are_negative.html
http://www.theguardian.com/uk-news/2013/oct/22/horsemeat-scandal-guardian-investigation-public-secrecy
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象牙を焼く?
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-05-05
本当は別の動物のことを書くつもりでしたが、先週のこと、かなりショックな出来事がありました。また象牙に関することですが、賛成・反対と意見が分かれる出来事です。ケニア政府が105トンの象牙を、全世界の見守る中、焼却したのです。http://news.nationalgeographic.com/2016/04/160430-kenya-record-breaking-ivory-burn/実は象牙の償却は時々あっています。アメリカや香港、そして最近では初めてマレーシアも、粉砕焼却を決めました。ただ今回は105トンという最大の規模。さらにサイの角1.35トンも。私の知っている環境保護家達も、何人かその場に行っていたようで、FBにたくさん写真があがっていました。この人達はもちろん、ケニア政府の象牙があるためにゾウが密猟されるのが問題である、という表明をサポートしに行っていましたが...反対派の意見は、この、1億500万ドル(約160億ドル)の象牙を、焼いてしまうのではなく、国の発展やその他のことに使えたのではないか、というものが主です。また、全世界にある象牙の在庫の約5%にあたるこの象牙を焼いてしまうことで、象牙の価格が高騰し密猟が増えるのでは、ということも心配されています。しかしケニアのケニヤッタ大統領はきっぱり。「将来世代の判断を待ちたい。きっと今日の我々の決断を評価してくれるはずだ。」象牙の価値。ゾウの価値。本来、もちろんゾウの価値の方がうんと高いはずなのです。それは人間にとっての金銭的価値という意味も含まれます。例えば観光。ケニアは野生動物の「非消費利用」を方針としています。つまり、動物を殺すことなく、経済的に利用するというものです。そしてもっと大きなレベルで、ゾウのような大きな動物が生態系に果たしている役割は、非常に重要です。ゾウは自分の生息地を日々改変していると言ってもいいのですが、道を作る、地下水を掘る、低木をなぎ倒し草原を作る、といった、他の野生生物にとっても必要不可欠な環境を、ゾウが作っているのです。それを、「きれいだから」「富の象徴だから」という理由で象牙を目当てにどんどん密猟していくのは、浅はかなことです。個人的にはもちろん、象牙が焼かれるところを見るのは心穏やかではありません。でも、ケニアの大統領のきっぱりとした方針を、羨ましく思います。なぜならすでに書いたように、日本では象牙は合法です。お店にあ..
未分類
Mari
2016-05-05T16:31:44+09:00
また象牙に関することですが、賛成・反対と意見が分かれる出来事です。
ケニア政府が105トンの象牙を、全世界の見守る中、焼却したのです。
http://news.nationalgeographic.com/2016/04/160430-kenya-record-breaking-ivory-burn/
実は象牙の償却は時々あっています。
アメリカや香港、そして最近では初めてマレーシアも、粉砕焼却を決めました。
ただ今回は105トンという最大の規模。
さらにサイの角1.35トンも。
私の知っている環境保護家達も、何人かその場に行っていたようで、FBにたくさん写真があがっていました。
この人達はもちろん、ケニア政府の象牙があるためにゾウが密猟されるのが問題である、という表明をサポートしに行っていましたが...
反対派の意見は、この、1億500万ドル(約160億ドル)の象牙を、焼いてしまうのではなく、国の発展やその他のことに使えたのではないか、というものが主です。
また、全世界にある象牙の在庫の約5%にあたるこの象牙を焼いてしまうことで、象牙の価格が高騰し密猟が増えるのでは、ということも心配されています。
しかしケニアのケニヤッタ大統領はきっぱり。
「将来世代の判断を待ちたい。きっと今日の我々の決断を評価してくれるはずだ。」
象牙の価値。ゾウの価値。
本来、もちろんゾウの価値の方がうんと高いはずなのです。
それは人間にとっての金銭的価値という意味も含まれます。
例えば観光。ケニアは野生動物の「非消費利用」を方針としています。
つまり、動物を殺すことなく、経済的に利用するというものです。
そしてもっと大きなレベルで、ゾウのような大きな動物が生態系に果たしている役割は、非常に重要です。
ゾウは自分の生息地を日々改変していると言ってもいいのですが、道を作る、地下水を掘る、低木をなぎ倒し草原を作る、といった、他の野生生物にとっても必要不可欠な環境を、ゾウが作っているのです。
それを、「きれいだから」「富の象徴だから」という理由で象牙を目当てにどんどん密猟していくのは、浅はかなことです。
個人的にはもちろん、象牙が焼かれるところを見るのは心穏やかではありません。
でも、ケニアの大統領のきっぱりとした方針を、羨ましく思います。
なぜならすでに書いたように、日本では象牙は合法です。
お店にあります。
手軽に買うことができます。
さらに、ヤフオクで違法象牙を取引していた ことも最近メディアに出ました。
それなのに、象牙焼却を伝えるNHKのニュース はまるで他人事です。
「アフリカでは象牙の違法売買を目的にしたゾウの密猟が後を絶たず、毎年3万頭以上が犠牲になっているとみられています。」
どうしてそうなるのか?日本との関係は?
そこを報道しなければ、この報道には意味がありません。
ケニア政府のせっかくのアピールも、NHKにはスルーされてしまいました。
いえいえもしかしたら。
日本政府の「業界配慮」や「象牙をもっと活用して経済を活性化させよう」という密かな、だけど以前からコンスタントである方針が反映されているのかもしれません。
本当に、絶滅するかもしれない動物の派生物を使っている業界を存続させるために、さらに絶滅のリスクを加速させていいのでしょうか?
残念ですが今のところ、日本にいながら私たちができることは、自分で考えて行動するしかないのです。
象牙のことは、前回書いたように、ハンコ屋さんでリアクション、してみてください。
そしてこの秋にある国際会議(ワシントン条約締約国会議 COP17)で、日本政府がどういう行動を取るのか、見てみてください。
象牙はゾウのものです。
そして、象牙がなくても人間は生きていけます。
http://www.theguardian.com/environment/2016/apr/30/kenya-to-burn-largest-ever-ivory-stockpile-to-highlight-elephants-fate
http://news.nationalgeographic.com/2016/04/160430-kenya-record-breaking-ivory-burn/#close
http://www.asahi.com/articles/ASJ515HCYJ51UHBI00P.html
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パーム油:野生生物のすみかを守るためには何をしたらよい?
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-04-13
前回、パーム油について、そのパーム油を生産するために奪われるゾウやオランウータンなどの野生生物について、そしてそのパーム油を消費している私たちの責任について書きました。インドネシア視察に行った時の写真。右がアブラヤシ農園に変わってしまった場所、左は熱帯雨林。サルたちは、アブラヤシ農園を訪れることはあるようですが、住んでいるのは左の熱帯雨林なんだそう。これが、象牙であれば「象牙を買わない」ですむところ、ありとあらゆるものに使われるパーム油。どうしたらいいのでしょう?大きなレベルでは、国際的に、みんなでそういう事態を招かないパーム油を生産しようという取り組みはあります。「持続可能なパーム油」の生産と利用を促進する、「持続可能なパーム油のための円卓会議」(RSPO:Roundtable on Sustainable Palm Oil)。「誰がそんなことをしているの?」と言いますと、パーム油に関わっている業界、アブラヤシ農園の開発にお金を出す銀行や投資会社、そんな一連の動きを監視するNGO、などです。世界のパーム油生産者の40%がこのRSPOに参加していると言われています。具体的には、8つの原則を決め、それに基づいて43項目の基準を設け、この基準を満たすパーム油を、「RSPO認証パーム油」とすることができるという仕組みです。ただし、オーガニック認証などとは違い、最終商品ではわかりづらいことも多いのが現状。またこの基準について、森林破壊を止め切れていないなどいろいろと議論はあります。一般消費者として、何ができるか?パーム油の場合はあらゆるものに使われているので避けることはなかなか難しいですが、日常生活のレベルでは、やはり、大量生産・大量消費・低価格、のサイクルに No という必要があるかもしれません。そして、無駄なものを買わない、ということ。パーム油は加工食品に使われるので少し違いますが、例えば世界の食用作物のうち30-40%もが食べられずに廃棄されているという数字があります。これはこれで、一つの温暖化防止の阻害要因として問題視されていて、2030年までに食品の無駄を半分に減らすという Champion 12.3 という取り組みが最近生まれています。大量に、安く、消費者に提供するために犠牲になるのはその他の大切なこと。それは森林であり、野生生物の生息地であり、食へのありがたみでもあるかもしれません。問題が大きいと、「何もで..
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Mari
2016-04-14T09:17:50+09:00
インドネシア視察に行った時の写真。右がアブラヤシ農園に変わってしまった場所、左は熱帯雨林。サルたちは、アブラヤシ農園を訪れることはあるようですが、住んでいるのは左の熱帯雨林なんだそう。
これが、象牙であれば「象牙を買わない」ですむところ、ありとあらゆるものに使われるパーム油。
どうしたらいいのでしょう?
大きなレベルでは、国際的に、みんなでそういう事態を招かないパーム油を生産しようという取り組みはあります。
「持続可能なパーム油」の生産と利用を促進する、「持続可能なパーム油のための円卓会議」(RSPO:Roundtable on Sustainable Palm Oil)。
「誰がそんなことをしているの?」と言いますと、パーム油に関わっている業界、アブラヤシ農園の開発にお金を出す銀行や投資会社、そんな一連の動きを監視するNGO、などです。
世界のパーム油生産者の40% がこのRSPOに参加していると言われています。
具体的には、8つの原則を決め、それに基づいて43項目の基準を設け、この基準を満たすパーム油を、「RSPO認証パーム油」とすることができるという仕組みです。
ただし、オーガニック認証などとは違い、最終商品ではわかりづらいことも多いのが現状。
またこの基準について、森林破壊を止め切れていないなどいろいろと議論はあります。
一般消費者として、何ができるか?
パーム油の場合はあらゆるものに使われているので避けることはなかなか難しいですが、日常生活のレベルでは、やはり、大量生産・大量消費・低価格、のサイクルに No という必要があるかもしれません。
そして、無駄なものを買わない、ということ。
パーム油は加工食品に使われるので少し違いますが、例えば世界の食用作物のうち30-40% もが食べられずに廃棄されているという数字があります。
これはこれで、一つの温暖化防止の阻害要因として問題視されていて、2030年までに食品の無駄を半分に減らすという Champion 12.3 という取り組みが最近生まれています。
大量に、安く、消費者に提供するために犠牲になるのはその他の大切なこと。
それは森林であり、野生生物の生息地であり、食へのありがたみでもあるかもしれません。
問題が大きいと、「何もできないから何もしない」となってしまいがちですが、知識と行動をつなぐことさえできれば、何でもできるのだろうと思います。
ただそれが、残念なことに特に日本では、あまりTVなどのメディアでは報道されません。
お土産の好きな日本人の私たち。
軽い気持ちで買っているお菓子のお土産、大丈夫かな?
そして相手は本当に、それを必要としているでしょうか?
そんな小さな行動から、見直してみるのはどうでしょう?
参考サイト:
http://www.wwf.or.jp/activities/resource/cat1305/rsportrs/
http://www.greenpeace.org/international/en/publications/Campaign-reports/Forests-Reports/Certifying-Destruction/
http://www.theguardian.com/environment/2016/apr/07/reducing-food-waste-would-mitigate-climate-change-study-shows
http://www.theguardian.com/sustainable-business/2016/jan/21/tesco-ceo-davos-food-waste-campaign-sustainable-development-goals-climate-change
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お菓子と野生動物の関係
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-04-04
前回、ゾウの生息地が奪われているのは私たちの責任でもある、ということを書きました。実は、日本人には(日本人にも、というべきか)とても関係が深いものです。すでにご存知の方も多いと思いますが、アブラヤシというヤシ植物からとれるパーム油またはやし油。2000年代の中ごろから、大豆に代わり食用油の生産量第一の原料となっています。ありとあらゆるものに使われる、このパーム油。加工食品(お菓子、マーガリン、即席めんなどなどなど)、洗剤、シャンプー、化粧品、紙製品試しに、身近にある加工食品を見てみてください。単に「植物油」とされていることも多いですが、「パーム油」と記載されていることも多いことがわかると思います。パーム油は製造側では安定していて非常に使いやすいうえ、原産地側では成長が早く扱いやすいということで、需要と供給がマッチした商品であったのですが...実は世界のパーム油のほとんどが、インドネシア(2840万トン)とマレーシア(1920万トン)で生産されています(RSPO ウェブサイトより)。この2カ国で、世界中の人たちの加工食品、洗剤、シャンプー、化粧品、さらには安いティッシュなどを含む紙製品などなどなど、様々なものを賄うということは、それだけ巨大なアブラヤシ農園が必要だ、ということ。両国で激しい伐採のためすでに劣化してきていた熱帯雨林も多く、あっという間にアブラヤシ農園に変わってしまいました。私がインドネシア視察に行った時の写真。上空から見ると、一面、アブラヤシ農園が広がっています。なんと、現在この2カ国にあるアブラヤシ農園の55-60%が、もともと天然の熱帯雨林だったという推定があります(WWFウェブサイトより)。そして、この二つの国の熱帯雨林というのは、世界でも有数の生物の多様性を誇っているのです。つまり、その森に住んでいた生き物は、住むところを失ったということ。もちろん、多くは死んでしまいますし、移動できる大型哺乳類も、火傷を負ったり、群れとはぐれてしまったり、野生では生きていけない状態になってしまいます。WWFウェブサイトよりこの熱帯雨林の破壊の新たな原因としてのアブラヤシ農園と紙のための植林について、少し前に日本でも放映されたドキュメンタリー番組があります。こちらのビデオですが、俳優のハリソンフォードがインドネシアのテッソニロを訪ね、温暖化の原因となっている森林破壊の現状をレポートしたものです。残念ながら日本語..
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Mari
2016-04-09T09:32:58+09:00
実は、日本人には(日本人にも、というべきか)とても関係が深いものです。
すでにご存知の方も多いと思いますが、アブラヤシというヤシ植物からとれるパーム油またはやし油。
2000年代の中ごろから、大豆に代わり食用油の生産量第一の原料となっています。
ありとあらゆるものに使われる、このパーム油。
加工食品(お菓子、マーガリン、即席めんなどなどなど)、洗剤、シャンプー、化粧品、紙製品
試しに、身近にある加工食品を見てみてください。
単に「植物油」とされていることも多いですが、「パーム油」と記載されていることも多いことがわかると思います。
パーム油は製造側では安定していて非常に使いやすいうえ、原産地側では成長が早く扱いやすいということで、需要と供給がマッチした商品であったのですが...
実は世界のパーム油のほとんどが、インドネシア(2840万トン)とマレーシア(1920万トン)で生産されています(RSPO ウェブサイトより )。
この2カ国で、世界中の人たちの加工食品、洗剤、シャンプー、化粧品、さらには安いティッシュなどを含む紙製品などなどなど、様々なものを賄うということは、それだけ巨大なアブラヤシ農園が必要だ、ということ。
両国で激しい伐採のためすでに劣化してきていた熱帯雨林も多く、あっという間にアブラヤシ農園に変わってしまいました。
私がインドネシア視察に行った時の写真。上空から見ると、一面、アブラヤシ農園が広がっています。
なんと、現在この2カ国にあるアブラヤシ農園の55-60%が、もともと天然の熱帯雨林だったという推定があります(WWFウェブサイトより )。
そして、この二つの国の熱帯雨林というのは、世界でも有数の生物の多様性を誇っているのです。
つまり、その森に住んでいた生き物は、住むところを失ったということ。
もちろん、多くは死んでしまいますし、移動できる大型哺乳類も、火傷を負ったり、群れとはぐれてしまったり、野生では生きていけない状態になってしまいます。
WWFウェブサイトより
この熱帯雨林の破壊の新たな原因としてのアブラヤシ農園と紙のための植林について、少し前に日本でも放映されたドキュメンタリー番組があります。
こちらのビデオ ですが、俳優のハリソンフォードがインドネシアのテッソニロを訪ね、温暖化の原因となっている森林破壊の現状をレポートしたものです。
残念ながら日本語の字幕付きのものが見つかりませんでしたが、最初の2分以内に焼き出され行き場のなくなったオランウータンの映像があります。
また、このテッソニロには、希少なスマトラゾウがいます。
野生での個体数はわずか2400~2800頭と推定され、2012年、とうとう、「近絶滅亜種」指定を受けました。
最も絶滅が心配されるレベルです。
そしてこのスマトラゾウの生息地は、消費国(つまり日本のような国)に、パーム油を使った製品や、安い紙製品を供給するためにさらにさらに狭くなっています。
日本語の参考サイト:http://www.wwf.or.jp/activities/2012/01/1041326.html
参考サイト:
http://greenpalm.org/about-palm-oil/where-is-palm-oil-grown-2
http://wwf.panda.org/what_we_do/footprint/agriculture/palm_oil/solutions/illegal_palmoil_tessonilo_sumatra_indonesia.cfm
http://wwf.panda.org/what_we_do/footprint/agriculture/palm_oil/environmental_impacts/forest_conversion/
http://www.iucnredlist.org/details/199856/0
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ゾウの利用と捕獲
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-04-03
前回の続き。地球の歴史を1年のカレンダーとすると、人間が誕生したのは12月31日と例えられていて、人間はこの地球では実は新参者です。その新参者の人間ですが、現在ではありとあらゆる生き物を利用・消費しています。例えば前回も書いたゾウ。アジアゾウはアフリカゾウより温和だとされ、古来から人間に使われてきました。機械化以前は木材を運んだり、現在だと観光用にショーや背中に乗るツアーなど、が例として挙げられます。しかしこれらのゾウはもともと野生のゾウとして生まれているため、常にコントロールが必要です。Responsible Travel (下記リンク)のサイトよりゾウにとっては酷な(つまりゾウの「福祉」が損なわれる)トレーニングを経なければ「芸」をするまでには持っていけないと言われ、現在、欧米でもゾウの背中に乗るツアーをやめゾウを自然の生態で見るツアーを進めているところが増えてきています。私自身の体験では、ずいぶん前ですがタイで調査のためにゾウのパフォーマンスを見に行ったことがありますが、「芸」をしているゾウは先がかぎ状になっている鉄の棒でコントロールされていました。この棒ですが、英語では bullhook と呼ばれており、この使用の禁止を求める声は長くあります。もともとの個体数がアフリカゾウよりもぐっと少ないアジアゾウ。20世紀初頭には10万頭いたとされるアジアゾウは、過去30年間で半分以下にまで減ったと推定されています。インド、スリランカ、バングラデシュ、ネパール、タイ、ビルマ、ラオス、カンボジア、インドネシア、マレーシア、ブータンや、お隣の国中国にも生息しています。誰でも、これらの国の経済成長を考えると当然、生息地が減っていることは簡単に想像できるでしょう。国際的な保護については、前回触れた絶滅危惧種の取引を規制する、「ワシントン条約」の付属書I(取引禁止)に、アジアゾウはアフリカゾウよりずっと早く、1972年に記載されました。つまりここ40年以上、アジアゾウの(その部分・「派生物」(象牙)を含む)を輸出・輸入することは禁止されています。そして各国政府もゾウを保護する政策は持っています。しかし前回書いたように、ゾウの密猟は世界各地で起こっています(ただ、アジアゾウはもともとの個体数が少ないため、件数はアフリカゾウが多くなります)。それとは別に、現在では使役という役割はなくなったゾウは人間のエンターテイメントのために利用..
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Mari
2016-04-03T08:09:03+09:00
地球の歴史を1年のカレンダーとすると、人間が誕生したのは12月31日と例えられていて、人間はこの地球では実は新参者です。
その新参者の人間ですが、現在ではありとあらゆる生き物を利用・消費しています。
例えば前回も書いたゾウ。
アジアゾウはアフリカゾウより温和だとされ、古来から人間に使われてきました。
機械化以前は木材を運んだり、現在だと観光用にショーや背中に乗るツアーなど、が例として挙げられます。
しかしこれらのゾウはもともと野生のゾウとして生まれているため、常にコントロールが必要です。
Responsible Travel (下記リンク)のサイトより
ゾウにとっては酷な(つまりゾウの「福祉」が損なわれる)トレーニングを経なければ「芸」をするまでには持っていけないと言われ、現在、欧米でもゾウの背中に乗るツアーをやめゾウを自然の生態で見るツアーを進めているところ が増えてきています。
私自身の体験では、ずいぶん前ですがタイで調査のためにゾウのパフォーマンスを見に行ったことがありますが、「芸」をしているゾウは先がかぎ状になっている鉄の棒でコントロールされていました。
この棒ですが、英語では bullhook と呼ばれており、この使用の禁止を求める声は長くあります。
もともとの個体数がアフリカゾウよりもぐっと少ないアジアゾウ。
20世紀初頭には10万頭いたとされるアジアゾウは、過去30年間で半分以下にまで減ったと推定されています。
インド、スリランカ、バングラデシュ、ネパール、タイ、ビルマ、ラオス、カンボジア、インドネシア、マレーシア、ブータンや、お隣の国中国にも生息しています。
誰でも、これらの国の経済成長を考えると当然、生息地が減っていることは簡単に想像できるでしょう。
国際的な保護については、前回触れた絶滅危惧種の取引を規制する、「ワシントン条約」の付属書I(取引禁止)に、アジアゾウはアフリカゾウよりずっと早く、1972年に記載されました。
つまりここ40年以上、アジアゾウの(その部分・「派生物」(象牙)を含む)を輸出・輸入することは禁止されています。
そして各国政府もゾウを保護する政策は持っています。
しかし前回書いたように、ゾウの密猟は世界各地で起こっています(ただ、アジアゾウはもともとの個体数が少ないため、件数はアフリカゾウが多くなります)。
それとは別に、現在では使役という役割はなくなったゾウは人間のエンターテイメントのために利用されていますが、そのために野性から捕獲されてきています。
「え?人間が育てているゾウから生まれたのではないの?」 と思われている方が多いと思いますが、実は、動物園などでの人工的環境での繁殖は、一部の種を除くと通常は非常に難しいのです。
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Elephants in zoos breed poorly or not at all.
(ゾウは動物園では繁殖が非常に難しいか、まったくできない)
スミソニアン保全生物学研究所
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理由は、例を挙げると適合する繁殖相手を見つけることの難しさ(ゾウのように大きな動物は特に)、自然のサイクルと違う環境での不安定なバイオリズム、など様々です。
なので、一般の人が「おりこうさんね」「かわいい」と見ているゾウ達は、ほとんどが野生で捕獲されたゾウだと言われています。
もし、明らかに抵抗するゾウに縄をつけたり柵に押し込めたりする場面を見ることができると思う人は、 "captured wild elephant" とグーグルで検索してみてください。
一般人が撮ったもの含め、捕獲の場面を移した動画がたくさんあります。
人間との衝突が原因の一つとも言われますが、特にアジアの新興国でのゾウの生息地はどんどん狭くなっています。
そして、その原因は、そうした国の労働力や資源を使っている私達先進国にもあるのです。
メモ用参考リンク:
http://www.bornfree.org.uk/campaigns/zoo-check/captive-wildlife-issues/elephants-in-captivity/
http://www.bornfree.org.uk/fileadmin/user_upload/files/reports/INNOCENT_PRISONER.pdf
https://nationalzoo.si.edu/SCBI/ReproductiveScience/ElephantBreedRepro/
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アフリカのゾウ、アジアのゾウ
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-03-24
前回の記事では、「ゾウ」とひとくくりにしましたが、実はゾウにもいろいろな種類があります。まずは、大きく分けるとアジアゾウとアフリカゾウがあり、前回の記事に書いていたことは、個体数含め主にアフリカゾウの話です。http://www.worldwildlife.org/species/asian-elephant よりアジアゾウは、アフリカゾウよりやや小さく、全体に丸みのある体つきと長めのシッポが特徴。耳がアフリカゾウより小さいので、見分ける時は耳と丸いお尻ですぐにわかります。ゾウの耳は、暑い時に体温を下げるのにパタパタするうちわの役割を果たしています。また鼻でもちろん息をしますが、その他にも水を飲んだり、(「指」を使って)食べ物を取ったり、物をつかんだりする、便利な鼻です。おもしろいのはアジアゾウの鼻(実際には鼻と上唇がくっついているもの)の先には、英語では「指」と呼ばれる突起が一つついていますが、アフリカゾウにはそれが上下二つあります。アフリカゾウは、西部アフリカの森林にいるマルミミゾウを除くと、草原に生息しています。なので比較的簡単に見ることができ、サファリツアーなどが人気です。アジアゾウは、森林に生息していて、野性のアジアゾウを見られるかどうかは、運しだい。私は以前タイで会議の後、比較的よく見られると教えてもらった保護地区まで電車と車で1日かけて行きましたが、一頭だけ、しかも200メートルくらい先の「お尻」だけが見えました。前日は川でたくさん水浴びしていたそうで、とても残念でしたが、ゾウのいる森林にいるということだけで、素晴らしい体験でした。knysnaelephantpark.co.za よりナショナルジオグラフィックによると、アフリカゾウは大きいゾウでだいたい肩までの高さ3メートル、体重5トンという、まさにアジア大陸で最大の生物。そして陸上最大の生物アフリカゾウは、大きいゾウでだいたい肩までの高さ4メートル、体重は6.3トン。よく考えてみたら、地球が誕生した46億年前、生き物は全く存在していなかったところから、藻のような生物から始まり、こんなに大きな生き物が今この地球にいるのは、よく考えてみると不思議で驚くべきことだと思います。そして、様々説はありますが、現在いるゾウの原型が誕生したのは700万年前とも言われ、それ以前にもともとの原型であった動物モエリテリウムは、3300-3700万年前に現れたと考えられ..
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Mari
2016-03-24T18:28:01+09:00
まずは、大きく分けるとアジアゾウとアフリカゾウがあり、前回の記事に書いていたことは、個体数含め主にアフリカゾウの話です。
http://www.worldwildlife.org/species/asian-elephant より
アジアゾウは、アフリカゾウよりやや小さく、全体に丸みのある体つきと長めのシッポが特徴。
耳がアフリカゾウより小さいので、見分ける時は耳と丸いお尻ですぐにわかります。
ゾウの耳は、暑い時に体温を下げるのにパタパタするうちわの役割を果たしています。
また鼻でもちろん息をしますが、その他にも水を飲んだり、(「指」を使って)食べ物を取ったり、物をつかんだりする、便利な鼻です。
おもしろいのはアジアゾウの鼻(実際には鼻と上唇がくっついているもの)の先には、英語では「指」と呼ばれる突起が一つついていますが、アフリカゾウにはそれが上下二つあります。
アフリカゾウは、西部アフリカの森林にいるマルミミゾウを除くと、草原に生息しています。
なので比較的簡単に見ることができ、サファリツアーなどが人気です。
アジアゾウは、森林に生息していて、野性のアジアゾウを見られるかどうかは、運しだい。
私は以前タイで会議の後、比較的よく見られると教えてもらった保護地区まで電車と車で1日かけて行きましたが、一頭だけ、しかも200メートルくらい先の「お尻」だけが見えました。
前日は川でたくさん水浴びしていたそうで、とても残念でしたが、ゾウのいる森林にいるということだけで、素晴らしい体験でした。
knysnaelephantpark.co.za より
ナショナルジオグラフィックによると、アフリカゾウは大きいゾウでだいたい肩までの高さ3メートル、体重5トンという、まさにアジア大陸で最大の生物。
そして陸上最大の生物アフリカゾウは、大きいゾウでだいたい肩までの高さ4メートル、体重は6.3トン。
よく考えてみたら、地球が誕生した46億年前、生き物は全く存在していなかったところから、藻のような生物から始まり、こんなに大きな生き物が今この地球にいるのは、よく考えてみると不思議で驚くべきことだと思います。
そして、様々説はありますが、現在いるゾウの原型が誕生したのは700万年前とも言われ、それ以前にもともとの原型であった動物モエリテリウム は、3300-3700万年前に現れたと考えられています。
そして、(区切りが難しいですが)人類が誕生したのは、ゾウより200万年も遅れて500万年前とも言われています。
そして今、前回も書いたように、新参者の私たちがゾウの未来を握っています。
種としての存続と、個体としての福祉、両方においてです。
続きます。
メモ用参考リンク:
http://animals.nationalgeographic.com/animals/mammals/african-elephant/
http://animals.nationalgeographic.com/animals/mammals/asian-elephant/
http://news.nationalgeographic.com/news/2014/08/140818-elephants-africa-poaching-cites-census/
http://www.wwf.or.jp/activities/2012/01/1041526.html
http://wwf.panda.org/what_we_do/endangered_species/elephants/asian_elephants/
http://www.wwf.or.jp/activities/2012/01/1041326.html
http://www.ifaw.org/sites/default/files/protecting_elephants_us.pdf
http://www.livescience.com/18581-fossil-footprints-oldest-elephant-herd.html
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ゾウの密猟
https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2016-03-20
今、私が気になっていることの一つが、ゾウの密猟と個体数です。↑ 「アフリカと神戸俊平の会」の、神戸俊平氏のFB写真より。生息地の圧倒的な減少と、密猟による殺戮で、20世紀初頭には3-5百万頭も推測されるアフリカゾウは、(WWFによると)今、47万頭までに減っていると推定されています。人間による密猟は、なんと個体数の8%にのぼるという数値があり、1日96頭ものゾウが殺されているのです。このままいくと確実に絶滅してしまうでしょう。AVAAZ上の署名を求めるサイトより私がイギリスのNGOに入って一番最初に担当した仕事が、ゾウの保護キャンペーン。というと、アフリカに行ってサバンナをジープで移動、というようなことを想像されがちですが...そちらではなく、「あるもの」を持っているが故に殺されてしまうゾウを保護するには、その「あるもの」への需要をなくそう、という活動。国際会議や各国の方針について研究し、意見を述べるという仕事と、その「あるもの」がどのくらい市場に出ていて規制がきちんと行われているか、を調査するという仕事でした。その「あるもの」とは、象牙。ゾウにとっては地下水を掘ったり移動中のしげみを除去するのに絶対必要な牙です。「象牙と言えば昔はお箸とかハンコがあったね」という日本人は多いのですが、今でも日本で販売されています。「象牙は禁止になったのではなかったの?!」という方もこれまた多いのですが、禁止になっていません。今度、ハンコを買う時に「ちなみに象牙はありますか?」と聞いてみてください。あります。でも、国際条約ではゾウや象牙の貿易は禁止されています。国際条約の方から見ていくと、「絶滅の恐れのある動植物の種の国際取引に関する条約」というものがあります。日本では、ワシントン条約という名前でよく知られます。英語では正式名称 Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora の頭文字を取り、CITES と呼ばれます。この条約で、1989年、ゾウは取引が禁止されている「付属書I」に入りました。仕組みとしてこの条約では基本、ゾウであればその「部分」や「派生物」も対象となります。なので、トロフィーハンティングでよくあるゾウの足(装飾的なスツールにされます)や、この象牙も、取引は禁止されています。なのにどうしてヤフオクで象牙を..
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Mari
2016-03-20T09:20:45+09:00
↑ 「アフリカと神戸俊平の会」の、神戸俊平氏のFB写真より。
生息地の圧倒的な減少と、密猟による殺戮で、20世紀初頭には3-5百万頭も推測されるアフリカゾウは、(WWFによると)今、47万頭までに減っていると推定されています。
人間による密猟は、なんと個体数の8%にのぼるという数値があり、1日96頭ものゾウが殺されているのです。
このままいくと確実に絶滅してしまうでしょう。
AVAAZ上の署名を求めるサイト より
私がイギリスのNGOに入って一番最初に担当した仕事が、ゾウの保護キャンペーン。
というと、アフリカに行ってサバンナをジープで移動、というようなことを想像されがちですが...
そちらではなく、「あるもの」を持っているが故に殺されてしまうゾウを保護するには、その「あるもの」への需要をなくそう、という活動。
国際会議や各国の方針について研究し、意見を述べるという仕事と、その「あるもの」がどのくらい市場に出ていて規制がきちんと行われているか、を調査するという仕事でした。
その「あるもの」とは、象牙。ゾウにとっては地下水を掘ったり移動中のしげみを除去するのに絶対必要な牙です。
「象牙と言えば昔はお箸とかハンコがあったね」という日本人は多いのですが、今でも日本で販売されています。
「象牙は禁止になったのではなかったの?!」という方もこれまた多いのですが、禁止になっていません。
今度、ハンコを買う時に「ちなみに象牙はありますか?」と聞いてみてください。
あります。
でも、国際条約ではゾウや象牙の貿易は禁止されています。
国際条約の方から見ていくと、「絶滅の恐れのある動植物の種の国際取引に関する条約」というものがあります。
日本では、ワシントン条約という名前でよく知られます。
英語では正式名称 Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora の頭文字を取り、CITES と呼ばれます。
この条約で、1989年、ゾウは取引が禁止されている「付属書I」に入りました。
仕組みとしてこの条約では基本、ゾウであればその「部分」や「派生物」も対象となります。
なので、トロフィーハンティングでよくあるゾウの足(装飾的なスツールにされます)や、この象牙も、取引は禁止されています。
なのにどうしてヤフオクで象牙を売ることができるのか、というと、日本政府は象牙の国内市場を禁止にしていないからです。
許可されて入ってきたときの「在庫」であれば合法、としています。
象牙の大手市場と言えば、90年代ごろまでは日本がナンバーワン、現在は中国ですが、日本の他、アメリカやベトナムなど東南アジア諸国でも、まだまだ市場があります。
アメリカではオバマ大統領が2014年2月に国内での象牙の売買を完全に禁止すると発表。
そしてオバマ大統領は中国政府にも働きかけ、昨年、ついに中国も将来的に禁止の方向で措置を取るということを共同発表しました。
実際には米国でもまだ禁止措置がスムーズに導入されないようですが、こうしたことに強いコミットメントを示してくれるリーダー、うらやましい限りです。
ちなみにオバマ大統領は歴代の大統領の中で一番、保護地区をたくさん指定したそう。
(とは言えそのうち、あの不思議な髪型をした人が大統領になってしまうのでしょうか...)
そして我が日本では、そのような動きは全く見られません。
「美しいニッポン」「おもてなしの国」であるはずの国なのに(これはもちろん皮肉です)。
なぜ象牙のことが気になるかと言えば、これは、明らかに人間の必要最低限の欲求とは関係のないコモディティーだからです。
象牙がなくても人間はまったく困りませんが、象牙を取るためには殺されなければならないゾウは、生きていけません。
それでも、「業界配慮」というのはそんなに重要なのでしょうか?
アフリカでの密猟は、日本や中国の市場が支えている、このことを、知らない人が多すぎると思います。
Say No to ivory.
「じゃあ何をしたらよいの?」という方、ハンコ屋さんに行って「まだ象牙なんて売ってたんですか?ゾウって絶滅が心配されていますよね?」というようなリアクションをするだけでも、象牙を売ることは好印象ではない、という地道なメッセージを送ることはできます。
実は消費者の力が一番パワフルなのです。
そういう時間がない方は、こちらの署名があります:https://secure.avaaz.org/jp/yahoo_ivory_loc_/?pv=272&rc=fb
身近にできること、意外にあります。
(自分のメモ用)参考サイト:
https://www.cites.org/eng/resources/publications.php
http://wwf.panda.org/what_we_do/endangered_species/elephants/african_elephants/
http://www.awf.org/wildlife-conservation/elephant
http://www.livescience.com/54075-doodling-your-password-safer-than-text-on-mobile-video.html
http://www.onearth.org/earthwire/ivory-ban-new-york
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https://the-last-tail.blog.ss-blog.jp/2014-04-02
「最後のしっぽ」へようこそ。ここは、この地球に住む他の生きもののため、作った場所です。私は20年来、ずっと自然保護や動物福祉に関わる仕事をしてきました。自然保護といってもいろいろです。アフリカの奥地に行って傷ついた野生動物を保護し野生に返すのもそうですし、毎日の生活の中で同じ地球に暮らす生きものたちに想いを馳せながらひとつひとつの行動を選択していくのもそう。ただ、この大きなテーマ、勉強してもしきれないことがばかり。これを生業にはしているものの、「本当に私のような無知な者がこういうことしてていいのかな?」と日々思っています。特に今の時代、環境問題は誰もが取り組んでいるテーマであり、人間の外側は全部「環境」なのですから、情報があふれかえる中、とまどいを感じる方も多いのではないかと思います。環境問題は、非常にざっくり分けると自然保護(生物多様性の保全)と気候変動という二つの軸があります。この二つはもちろん、つながっています。例えば、地球の温度が上昇すると絶滅する生き物が出る、というように。ヒグマ@ Alaskaこのブログでは、こちらの、「生き物」にまつわることを広く見ていきます。生き物が歴史上ないスピードで進んでいて、1日に100種が絶滅とも言われています。地球の環境を大きく改変する力を持つ人間のライフスタイルや自然破壊、そしてそれに由来する気候変動も数ある理由の中の一つです。人間の自然に対する考え方、自然の取り扱い方は、人間の動物に対する考え方や動物の取り扱い方に大きく由来する、と、学問的には考えられています。こうしたことを考えていく場所です。
未分類
Mari
2016-03-20T08:18:40+09:00
ここは、この地球に住む他の生きもののため、作った場所です。
私は20年来、ずっと自然保護や動物福祉に関わる仕事をしてきました。
自然保護といってもいろいろです。
アフリカの奥地に行って傷ついた野生動物を保護し野生に返すのもそうですし、毎日の生活の中で同じ地球に暮らす生きものたちに想いを馳せながらひとつひとつの行動を選択していくのもそう。
ただ、この大きなテーマ、勉強してもしきれないことがばかり。
これを生業にはしているものの、「本当に私のような無知な者がこういうことしてていいのかな?」と日々思っています。
特に今の時代、環境問題は誰もが取り組んでいるテーマであり、人間の外側は全部「環境」なのですから、情報があふれかえる中、とまどいを感じる方も多いのではないかと思います。
環境問題は、非常にざっくり分けると自然保護(生物多様性の保全)と気候変動という二つの軸があります。
この二つはもちろん、つながっています。
例えば、地球の温度が上昇すると絶滅する生き物が出る、というように。
ヒグマ@ Alaska
このブログでは、こちらの、「生き物」にまつわることを広く見ていきます。
生き物が歴史上ないスピードで進んでいて、1日に100種が絶滅とも言われています。
地球の環境を大きく改変する力を持つ人間のライフスタイルや自然破壊、そしてそれに由来する気候変動も数ある理由の中の一つです。
人間の自然に対する考え方、自然の取り扱い方は、人間の動物に対する考え方や動物の取り扱い方に大きく由来する、と、学問的には考えられています。
こうしたことを考えていく場所です。
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